先日、azukiazusa.devの「AIと技術ブログを書いて学んだこと」という記事を読んだ。そこには、AIが生成する低品質なコンテンツの特徴として、書いた人の体験や考えが欠落していること、そして十分な事実確認や推敲が行われていないのではないか、ということが書かれていた。
これを読んで、自分のメモの取り方について考え直すきっかけになったので、整理しておきたい。
客観的な事実は、AIに調べさせた方が早い
今の生成AI時代、自分が考えていることではない「客観的な事実」については、それこそAIに調べさせた方が早い。ドキュメントを読み込んで要約させたり、仕様の違いを比較させたり、そういう作業はAIの得意分野だ。
ただし、そうやって作成した解説記事のような文章は、あくまで「事実ベースの話+AIが生成したそれっぽい考えや体験」でしかない。そこには実際の人間の体験や経験、考えが不足している。
正直、こういう記事は読む価値がない。読むくらいなら、自分でAIチャットアプリに質問して調べ直した方が早いからだ。わざわざ他人が生成させた文章を経由する理由がない。
自分のメモは「事実の記録」ばかりだった
ここで自分のメモを振り返ってみると、今までのメモは「ここはこういうもんだ、へー、覚えておいた方がいいな」となったものを記録していた。あくまで事実をメモしていた。
たとえば「AWS Lambdaの実行時間は最大15分」みたいなことだ。
この事実は正しいし、覚えておいた方がいい。でも、メモとして残す価値は低いと思うようになったと感じる。理由は2つある。
1つ目は、調べたらすぐにわかること。事実は検索すればいいし、今ならAIに聞けば一瞬で返ってくる。 以前は検索エンジンを駆使してこの覚えておいた方がいいことを「なんだっけ〜」と探し直すことが多かった。そのために上記のような客観的な事実でも、クリティカルなことはすぐに引き出せるようにメモに残しておいたという背景がある。
2つ目は、変化の早いこの時代では、残しておいた事実がいずれ技術のアップデートによって「間違い」になりうること。実際、Lambdaの最大実行時間はかつて5分で、2018年に15分へ引き上げられた。当時「最大5分」とメモしていたら、そのメモはもう間違いだ。当時正しかった仕様やベストプラクティスは、数年後には古びている。さらに言えば、こういう古い事実メモを蓄積してAIに食わせると、最新の事実と過去に残した記述の間で矛盾が生まれそうでもある。せっかくの蓄積が、ノイズになってしまう。
残すべきは「そのとき自分が考えたこと」
対して、有用だと感じるのは、調べ物やその仕組みについて学んでいるときに「そのとき自分が思ったこと・考えたこと」をメモしておくことだ。
「へー」となったこと自体ではなく、なぜ「へー」となったのか。何と比較して驚いたのか、どういう文脈でそれを知りたかったのか、そのとき何に引っかかったのか。こういう体験や思考の記録は、事実と違って陳腐化しない。
このメモの効用として、いくつか思いつくものがある。
- 振り返りができる。 「当時はこう考えていたんだな」と、自分の理解や視点の変化を辿れる。
- 自分の思考の分析ができる。 これを蓄積してAIに食わせれば、自分がどういう考え方をしているのかを分析することもできそうだ。事実のメモを食わせても矛盾を生むだけだが、思考のメモなら自分だけのデータになる。
- 技術記事を書くときに応用できる。 このメモ(=自分の体験と考え)に、AIに調べさせた最新の事実を組み合わせれば、冒頭で挙げた「体験や考えが欠落したAI生成コンテンツ」とは違う、読む価値のある記事が書けそうだ。
まとめ
事実はAIと検索に任せて、自分は「そのとき何を考えたか」を残す。
AI時代にメモとして価値を持つのは、どこにでもある事実ではなく、自分にしか書けない体験と思考の記録なのだと思う。
参考